歴史的地図としのばず池

江戸時代の地図と現在の東京の地図を比較すると、市内の境界線の形や位置などの急激な変化をみることができる。さらに、一つの地区に焦点を当てることは、時間の経過とともに都市と都市文化がどのように変化したかを理解する手がかりとなる。

街中を通っている道は、時代とともにだんだんと変化していく構成要素である。上野はこのような変化が見られる良い例で、上野にある天然の不忍池は時代とともに変化してきた。1625年に、琵琶湖の竹生島に似せて弁天島が築かれ、そして弁天堂がその中心に置かれた。

この正保年中江戸絵図(1644または45年)には、文字表記はないものの清水観音堂の姿が見えるが、弁天堂島はどこにも見えない。この絵図に若干の歪みがあることを鑑みても、土手の形状が時間の経過とともに様変わりしていることがうかがえる。

Figure 1: Detail from “Shoho nenchu Edo ezu.” Map. Digital Archives of Japan. 1644 or 1645.

図1 正保年中江戸絵図(1644または45年)、国立公文書館デジタルアーカイブより

Figure 2: Detail from “Ueno Survey Map.” Map. Digital Archives of Japan. 1878.

図2 上野公園地実測図(1878年)、国立公文書館デジタルアーカイブより

今日、弁天堂へと通じる経路は「Y」のような形をしており、地図では池の片側からもう片側への直接的な通路が島を二分している。天然池を横断するこれらの人工の堤道は、景色を眺めるのに最良の場所であることに加えて、それによって分けられた池の区域も示している。現在ではボート池が、池のより自然な状態の区域からはっきりと切り離されている。

Figure 3: Detail from “Map of Actual Vegetation of Tokyo Metropolis.” Map. The Soil Maps of Asia: European Digital Archive of Soil Maps. 1974.

図3 東京都現在植生図(1974年)、The Soil Maps of Asia:EUROPEAN DIGITAL ARCHIVE OF SOIL MAPSより

 

作成者  | 2014-04-01 (火)
タグ : , , ,

Copyright © 2014 東京大学大学院情報学環吉見俊哉研究室 contact at shinobazu-prj [at] googlegroups.com