上野と本郷連携のルーツを遡る(2)ー東京大学学者による弥生遺跡の発見

前回の内容を受けて、今回の記事では、19世紀末に東京大学の研究者が行った考古学発掘調査に見られる上野と本郷の地域間連携の起源を辿ってみたい。ここに関わる人物には、坪井正五郎(1863-1913)、白井光太郎(1863-1932)、有坂鉊蔵(1968-1941)とそれに続く世代の人々が含まれる。

坪井と白井、有坂は1884年に現在の東京都文京区にある弥生二丁目で弥生式土器を発掘した。その発掘調査の当時彼らは20代前半で、坪井と白井は東京帝国大学理学大学で研究しており、有坂は帝国大学の工科大学の学生であった。3人はともに、のちに帝国大学の教授になる。坪井はとりわけ日本の考古学と文化人類学の草分けとして、その多大な貢献で知られている。

1970年代の半ばに弥生二丁目遺跡は東京大学文学部考古学研究室と理学部人類学教室による追加調査が行われた。考古学的に価値のあるいくつかの資料がまたこの近くから見つかり、弥生時代の人々の過ごし方やこの地域の文明生活が明らかになった。1976年にこの跡は国の史跡に指定された。1986年には、この発掘調査を記念した石碑が東京大学の弥生キャンパスと浅野キャンパスの間に建てられた。また2001年には弥生時代の方形周溝墓が同大学の埋蔵文化財調査室の追加調査によって発掘されている。2006年には浅野キャンパスの正門近くと工学部9号館の近くに、それぞれ1つずつ大学の施設部による解説パネルが設置された。

東京大学弥生キャンパスと浅野キャンパスの境にある、「弥生式土器ゆかりの地」碑

東京大学弥生キャンパスと浅野キャンパスの境にある、「弥生式土器ゆかりの地」碑

Explanation panels about boat-shaped wooden coffin near the main gate of Asano Campus

東京大学浅野キャンパスの正門近くにある、方形周溝墓についての解説板

東京大学浅野キャンパスの工学部9号館近くにある弥生二丁目遺跡の解説板

東京大学浅野キャンパスの工学部9号館近くにある弥生二丁目遺跡の解説板

今日、東京大学の総合研究博物館ではここで発掘された弥生式土器を所蔵資料として収蔵している。一方東京大学情報学環では、2006年から坪井家資料の調査研究をした。このアーカイブ(家史料)には、書簡や写真、日記、玩具、デスマスク、そして正太郎の長男である坪井誠太郎(1893-1986)の住まいの建築関係文書などが含まれている。それらのデジタル画像は情報学環のデジタルカルチュラルヘリテージ<http://crarc.iii.u-tokyo.ac.jp/>で地図にプロットされて閲覧することができる。2011年、大学附属図書館の総合図書館では「坪井正五郎と明治のヲタク的世界」と題した展示会が催され、彼の並外れた個性と人生が紹介された。東京大学はこの地域の考古学的痕跡とその決定的な発見に貢献した優れた研究者たちを継続的に調査研究し続けている。

参考文献:

小沢信男, 富田均, 『東京の池』, 東京: 作品社, 1989.

東京大学埋蔵文化財調査室, 「向ヶ岡弥生町News Letter」, http://tousyoku.org/archive/向ヶ岡弥生町ニュースレター(原祐一さん)/向ヶ岡弥生Vol.7.pdf, 2013年12月1日, 2015年1月アクセス。

東京大学埋蔵文化財調査室, 「本郷キャンパス・浅野地区に遺跡解説板を設置」, http://www.aru.u-tokyo.ac.jp/asano_panel.htm, 2015年1月アクセス。

東京大学大学院情報学環-Digital Cultural Heritage, http://crarc.iii.u-tokyo.ac.jp/, 2015年1月アクセス。

東京大学総合図書館, 「坪井正五郎と明治のヲタク的世界」, http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/josetsu/2011_07/, accessed January 2015.

西野嘉章, 「明治37年の坪井正五郎: 人類学教室標本展覧会をめぐって」, http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Archaeology/04/40500.html, accessed January 2015.

作成者  | 2015-09-21 (月)
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