不忍今昔:視覚資料から見る不忍弁天堂(3)天龍門と博覧会

前回の記事に引き続き、今回の記事は視覚資料と照らし合わせ、博覧会という晴れ舞台のなかの弁天島と天龍門の姿を中心として紹介する。

不忍弁天堂天龍門が大正3年(1914)から昭和20年(1945)までのわずか30年ほどのあいだ建っていた。設計者の伊東忠太はこれが自身の作品の中でもっとも会心の作だと学生の岸田日出刀に話したが、実際の建物の規模は極めて小さかった。起工は大正2年(1913) 3月で、竣工は大正3年(1914)3月、ちょうど東京大正博覧会の開催(1914年3月20日-7月31日)まで、一年間の時だった。工費はわずかの二万円(今のおおよそ三百万円)であった。[1]これは忠太が東京大正博覧会のために設計した博物館正門前華表の建設費(六ヶ所)3,931,200円の0.5%、博覧会の第一正門の9,830,000円の0.2%であり、驚くほど安い建設費で門が建てられたことが分かる。

天龍門は規模は小さいが、会場案内図や会場の風景を記録した絵葉書にははっきりとした姿で登場している。乃村工藝社博覧会コレクションの中の資料に、天龍門の様子を確認できる。「東京大正博覧会イルミネーションノ壮観」と題したFig.1と「東京大正博覧会-図版-4」(Fig. 2)、この二つの図版のなかで、天龍門は夜のイルミネーションや弁天堂までの桜の参道の華やかな世界の一部として、また博覧会のパビリオンであったオリエンタル様式をとった台湾館、染織別館、日華貿易館、奏楽堂と調和した存在として映されている。東京大正博覧会案内図(Fig. 3)を見れば、天龍門が第二正門のすぐとなりにあって、不忍池第二会場の二つ目の顔になっていたことがわかる。その案内図には、弁天島に「天リウ山」、「大コク」、「弁天堂」と「リョリヤ」が書かれていて、かなりの存在感があったことがわかる。弁天島はケーブルカーや噴水と共に、晴れ舞台となった不忍池を飾り、また後ろの観月橋と対岸をつないで、池を渡る近道としての役割も果たしていたことは間違いないだろう。

1914年7月に、メガイベントの東京大正博覧会は幕を下ろした。1922年3月22日から7月31日まで開催された平和記念東京博覧会で、天龍門は引き続き不忍池を渡る道のアクセントとなっていた。絵葉書収集家の林丈二氏が長年に渡って集めた絵葉書コレクションの中、「平和記念東京博覧会 平和塔上より見たる第二会場全景」(Fig. 4)では、弁天堂の入口として、またイベントで賑わう不忍池の一部としての天龍門の姿がはっきりと描かれている。

博覧会でない時の弁天島と天龍門の姿も昭和初期の絵や絵葉書に描かれた。江戸東京博物館と東京国立近代美術館に収蔵されている小泉癸巳男「不忍池畔の春雨」(1929-1937)、吉田博「東京拾二題 不忍池」 (1928)と川瀬巴水「東京二十景 不忍池之雨 試摺」(1929)(Fig. 5-7) では、天龍門が柳などと一緒に描かれ、雨の情緒を演出している。

これらの視覚資料からは天龍門の場所や形だけでなく、門が東京の名所の一つとして認識され、愛されていたことが分かる。存在していた期間はわずか三十年間だが、寛永寺の土地から博覧会の会場へ、上野公園の性質の移行を示す建造物であった。昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で弁天堂と天龍門はともに焼失された。昭和33年(1958年)に弁天堂は鉄筋コンクリート造の八角堂として再建されたが、天龍門はこれらの資料に残るばかりであった。

[1] 日本銀行の消費者物価指数(1914年0.620; 2015年103.5)

103.5/0.620 X 20,000= 3,338,709

Source: chigasakiws.web.fc2.com/ima-ikura.html; www.toukei.metro.tokyo.jp/bukka/2015/bk15cc0101.xls

「東京大正博覧会イルミネーションノ壮観」 局部。乃村工藝社博覧会コレクション。

Fig.1 「東京大正博覧会イルミネーションノ壮観」 局部。乃村工藝社博覧会コレクション。

「東京大正博覧会イルミネーションノ壮観」 局部。乃村工藝社博覧会コレクション。

Fig. 3 「東京大正博覧会案内図」 局部。乃村工藝社博覧会コレクション。

Fig. 4 絵葉書「平和記念東京博覧会 平和塔上より見たる第二会場全景」。林丈二所蔵。

Fig. 4 絵葉書「平和記念東京博覧会 平和塔上より見たる第二会場全景」。林丈二所蔵。

Fig. 5 「東京拾二題 不忍池」, 吉田博, 昭和3年 (1928)。江戸東京博物館収蔵。 http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/detail?id=0191222114

Fig. 5 「東京拾二題 不忍池」, 吉田博, 昭和3年 (1928)。江戸東京博物館収蔵。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/detail?id=0191222114

Fig. 5 「東京拾二題 不忍池」, 吉田博, 昭和3年 (1928)。江戸東京博物館収蔵。 http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/detail?id=0191222114

Fig. 6 「東京二十景 不忍池之雨 試摺」, 川瀬巴水, 昭和4年 (1929)。江戸東京博物館収蔵。 http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/detail?id=0193202363

Fig. 5 「東京拾二題 不忍池」, 吉田博, 昭和3年 (1928)。江戸東京博物館収蔵。 http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/detail?id=0191222114

Fig. 7 「昭和大東京百図絵」より 改版 「48.不忍池畔の春雨」, 小泉癸巳男, 1929-1937。東京国立近代美術館。 http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/63765/63765

参考文献
谷根千工房,『しのばずの池事典』,1989.
東京府廳, 『東京大正博覽會事務報告』 上巻 「第七節 建築費」,1916, pp. 121-125.
倉方俊輔,「伊東忠太の最初期の創作活動について 一明治期の図面類にみる伊東忠太の設計活動 その1一」,日本建築学会計画系論文集第558号, 279−284, 2002年8月。
『伊東忠太建築作品』, 伊東博士作品集刊行會, 東京: 城南書院, 1941.
鈴木博之編著, 『伊東忠太を知っていますか』, 松戸: 王国社, 2003.
岸田日出刀, 『建築学者伊東忠太』, 東京: 乾元社, 1945.

作成者  | 2016-04-11 (月)
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