朱舜水という中国知識人の活動から見るしのばずエリア

しのばずエリアは歴史の中で知識人たちの溜まり場で、彼らの活躍を見届けていた。朱舜水(しゅ しゅんすい)(1600-1682)という中国人知識人はその一人として挙げられる。舜水は1668年から82年に亡くなるまで、水戸藩の領地(現在の東京大学農学部あたり)で暮らしていた。彼は日本での儒教発展におおいに貢献し、歴史に名が刻まれている。

中国明朝(1368-1644)の復興運動に挫折した舜水は、漢学が進んでいる日本に強く惹かれて日本に逃亡し、日本人知識人と出会い親交を結んだ。彼の日本人の友人、安東省菴(あんどう せいあん)(1622-1701)と徳川光圀(とくがわ みつくに)(1628-1701)はその中で、最も親しい友人であった。安東をはじめとした彼の友人や生徒は儒教の発展を進め、古学を設立した。

常陸水戸藩第2代藩主の徳川光圀は、舜水を敬愛し、江戸にある水戸藩の中屋敷(現在、文京区弥生あたり)に彼を招聘した。亡くなるまでの17年間、舜水は光圀の賓師、顧問として務め、二人の間で交流を重ねた。この交流からいくつか大きな建築造園工事が着想、実施された。一つは小石川後楽園である。面積が7万平方メートルにも及ぶ広いこの庭園は、光圀の父、水戸藩初代藩主・徳川頼房(よりふさ)が築いたが、光圀が庭園を完成させ、舜水は後楽園の選名と再設計を手伝ったと言われている。後楽園の中の景物は、1923年の関東大震災と1945年の空襲でいくつか失われたが、杭州の西湖や江西省の廬山を見立てたものなど中国趣向で作られたものがまだ残っている。

舜水は孔子廟の設計も行っていた。用途の異なる建物、門、廊下と橋の配置、また屋根のデザインにいたる細かい設計図を描いた。この設計図は湯島聖堂の建設に使われた(Fig. 1)。舜水自身が大工職人による模型作りの場に臨んでいたと伝わっている。1923年の関東大震災によって聖堂は焼失し、内外部の大部分が失われた。1935年、伊東忠太の設計と大林組の施工により、聖堂の中心にある大成殿(Fig. 2)が再建された。聖堂内部の椅子も忠太が手がけたものだった(Fig. 3)。屋根に飾られた神話的な動物などは舜水の元のデザインに基づいたものだと言われている。舜水が日本に持ってきた孔子像(Fig. 4)の一つは現在湯島聖堂に収蔵されている。政府に献納した釈奠器は、1923年の震災を免れて、現在東京国立博物館に収蔵されている。

Fig. 1 Plan of a Confucian shrine drawn up by Shu Shunsui, Source: Fukushima Kanezo et. al., Kinsei Nihonno Jugaku, Iwanami, 1939; cited by Julia Ching “Chu Shun-Shui, 1600-82. A Chinese Confucian Scholar in Tokugawa Japan”, Monumenta Nipponica, 30: (2), 1975, p. 189.

Fig. 1 Plan of a Confucian shrine drawn up by Shu Shunsui,
Source: Fukushima Kanezo et. al., Kinsei Nihonno Jugaku, Iwanami, 1939; cited by Julia Ching “Chu Shun-Shui, 1600-82. A Chinese Confucian Scholar in Tokugawa Japan”, Monumenta Nipponica, 30: (2), 1975, p. 189.

2

Fig. 2 湯島聖堂大成殿現在の姿

3

Fig. 3 湯島聖堂大成殿内椅子二種, 紫檀製 綠色緞子蒲団付. Source: 『伊東忠太建築作品』, 伊東博士作品集刊行會, 東京: 城南書院, 1941, p. 80.

4

Fig. 4 Confucius Statue that Shu Shunsui brought to Japan, in the collection of Yushima Seido. Source: 林俊宏, “朱舜水在日本的活動及其貢獻研究”,台北:秀威出版,2004, p. 189.

今日、東京大学の農学部の校内に舜水を記念する石碑が建っている。この記念碑は、小石川後楽園、湯島聖堂と共に、舜水の知的交流、またしのばずエリアとアジアとのつながりを現在に伝える。次の記事では湯島聖堂と日本の展覧会文化と博物館の発展について紹介する。

参考文献:
Ching, Julia, “Chu Shun-Shui, 1600-82. A Chinese Confucian Scholar in Tokugawa Japan”, Monumenta Nipponica, 30: (2), (Summer, 1975), pp. 177-91.

徐 興慶, 「東アジアの視野から見た朱舜水研究」, 「日本漢文学研究」, 200703, pp. 357-96.

林俊宏, “朱舜水在日本的活動及其貢獻研究”,台北:秀威出版,2004.

関口慶久, 「水戸藩の学問・教育遺産群を歩く」第4回「夢の学問・教育遺産 延方郷校」, 「広報みと」, 2008, http://www.city.mito.lg.jp/000271/000273/000294/001005/002519/p005215_d/fil/009.pdf

—, 「水戸藩の学問・教育遺産群を歩く」第6回「学問・教育の聖地 水戸孔子廟」, 「広報みと」, 2008, http://www.city.mito.lg.jp/000271/000273/000294/001005/002519/p005215_d/fil/011.pdf

—, 「水戸藩の学問・教育遺産群を歩く」第15回「学問・教育の父 朱舜水の遺産群」, 「広報みと」, 2009, http://www.city.mito.lg.jp/000271/000273/000294/001005/002519/p005226_d/fil/011.pdf

朱舜水記念会 編,『朱舜水』, 1912. 近代デジタルライブラリー:http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992289, URL 2015年7月取得.

藤森照信 編, 『伊東忠太動物園』, 東京: 筑摩書房, 1995.

筑波大学大学院日本美術史研究室編, 『草創期の湯島聖堂: よみがえる江戸の「学習」空間 : 孔子祭復活百周年記念事業』, 東京: 清流出版社, 2007.

作成者  | 2016-04-23 (土)
タグ : , , , , , , , ,

Copyright © 2014 東京大学大学院情報学環吉見俊哉研究室 contact at shinobazu-prj [at] googlegroups.com