不忍今昔:森鴎外『雁』の散歩道

今回は森鴎外の小説『雁』のなかで主人公が歩いた上野・本郷の街並みについて、当時の地図を参照しながらご紹介します。

森鴎外『雁』は、明治44年(1911)から大正2年(1913)にかけて、文芸雑誌「スバル」上に連載されました。物語の舞台は明治13年の本郷・上野で、主人公である東京大学医科大学学生の岡田が散歩の途中で高利貸しの妾である玉と顔見知りとなります。玉は岡田に想いを寄せるものの二人が結ばれることはなく、洋行のため岡田が本郷を去るまでの過程を岡田の友人である「僕」の回想という形をとって描いています。小説には明治10年代の上野・本郷界隈の描写が数多く登場し、地下鉄はおろか、まだ市電もバスも走っていなかった時代のこの地域の街並みとそのなかを歩いて移動する人々の動線を伝える歴史資料にもなっています。
雁地図(抜出)
画像は明治16年から17年にかけて謀本部陸軍部測量局によって作成された「五千分一東京図測量原図」をつないで、その上に『雁』に登場する地名や店名、施設名を書き込んだものです。赤い点線は、東京大学鉄門前の下宿「上条」を起点とする岡田の日々の散歩コースを示しています。明治時代の文学描写と当時の地図と重ねることで、明治の人々がどんな風に街を歩き生活していたか、リアリティを持って読み解くことができるのではないでしょうか。
画像:森鴎外『雁』地図(参謀本部陸軍部測量局「五千分一東京図測量原図(明治16,17年)」を元に作成)
『雁』のなかで、主人公の岡田は散歩を日課としています。少し長いですが、岡田の日々の散歩コースに関する記述を引用します。地図を参照しながら、彼が歩いた行程を辿ってみましょう。

「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。しかし仲町を右へ折れて、無縁坂から帰ることもある。これが一つの道筋である。或る時は大学の中を抜けて赤門に出る。鉄門は早く鎖されるので、患者の出入する長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので、今春木町から衝き当る処にある、あの新しい黒い門が出来たのである。赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の片側町を少し歩く。それからお成道へ戻って、狭い西側の横町のどれかを穿って、矢張臭橘寺の前に出る。これが一つの道筋である。」

岡田の散歩コースはふたつあり、ひとつは鉄門前の自宅から無縁坂を下りて池之端に出て、上野公園を通って上野広小路・湯島に抜けて帰ってくるもので、もうひとつは赤門を出て、神田明神を抜けて現在の神田神保町から秋葉原辺りまで足を伸ばすものです。上野公園内を彼がどのように歩いていたかは不明ですが、短いコースで30分ほど、神田まで足を伸ばした場合には1時間ほどの散歩道だったようです。
当時の地図をみると、現在と比べて道路が大きく異なった様子をみせています。現在この地域には東西に走る春日通りや蔵前橋通り、南北に走る中央通りや昭和通りといった大きな道路が通っていますが、それらの道路は明治時代には道幅のずっと細い道でした。また、道幅が細いことに加えて、途中で曲がり角を含んでいることが多いのも当時の道の特徴です。これは、防衛的観点から意図的に設計されたもので、将軍家が寛永寺参詣のさいに通る御成道の直線上から少し逸れたところに上野広小路が配置されているのもそのためです。
道路の変化のほかに、地図上には明治16年に開設されたばかりの上野駅が記されていますが、現在縦横無尽に走っている鉄道路線はこの地図ではまだ見えません。それでも、この地域を多少なりとも知っているひとであれば、この地図と現在の様子を照らし合わせることはそれほど難しくないでしょう。不忍池や神田川といった地形はほとんど変化しておらず、地形にそって通っている道の多くが現在も残っています。そして、湯島天満宮や神田明神といった寺社もまた敷地の縮小などはあっても同じ場所に位置しています。
地形は明治時代からほとんど変わっていませんが、今日私たちは岡田のようには、これらの地域の連続性を捉えていません。現在、東京には多くの鉄道や地下鉄の路線が走り、私たちは駅に囲まれて生活しています。本郷キャンパスもまた本郷三丁目駅や根津駅、東大前駅といった複数の最寄駅を持ち、それらの駅を利用している教職員や学生の多くは神保町や秋葉原を徒歩圏内として捉えていないでしょう。また、東京大学の表玄関が赤門や正門のある本郷通り側に面していることで、本郷キャンパスは上野に背を向けて位置する形となり、上野エリアとの近接性も意識されにくくなりました。しかし、本郷キャンパス東側に位置する池之端門や鉄門を出て少し歩けば、そこは池之端であり、キャンパスが上野エリアと接していることを体感できるでしょう。
『雁』は鴎外の自伝的な小説と言われており、作品描写からは鴎外や当時の東大生がこの地域をどのように歩き、生活していたのかを窺い知ることができます。そして、岡田の散歩コースと実際の明治時代の地図を照らし合わせる作業を通じて、私たちは『雁』をただ文学として楽しむだけでなく、普段何気なく通り過ぎている場所を連続性を持った空間の一部として捉え直すことができるように思います。

作成者  | 2016-10-25 (火)

Copyright © 2014 東京大学大学院情報学環吉見俊哉研究室 contact at shinobazu-prj [at] googlegroups.com